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以前も紹介した「道に迷った時に読む格言」。
この言葉をもとに、空、ある覚悟のうえで「優しくない」ことを書きました。
この前置きで、「何様ー?」と思われた御方は、読んでも不快感に抱かれるだけなのでお読みにならないようがよいかと思います。
日本の先祖さまたちは言葉には力が宿ると信じ、自分たちがしゃべる言葉を「言の葉」と名付けました。
「言の葉の技=ことわざ」と言われるように、多くのためになる言葉を今の世に伝えております。
日本以外の世界の古人たちも然り。
数々の名言を残してくれております。
それは、形にすればほんの数十文字の言葉にしかすぎません。
しかし、たった一呼吸の息で読めてしまうソレは、ほんのちょっぴり人間が意識して目を通すだけで恐ろしい力を発揮させることもあります。
ほんの一言「音」にして読むだけで、傷ついた人の心を救ったり、迷い人の背中をポンと押してくれたり、泥沼にはまっている人に解決策を見つけさせるきっかけをつくってくれたりするとても偉大なものであります。
空も、こんなヘタレですので立ち止まったり、悩んだりしたとき、「思いあがってんなー自分」と感じたとき、戒めの意味も込めてこういった「格言」に目を通し、その力を借りております。
そんな中で、空が気に入っている格言をほんの少しだけご紹介させていただきます。
・一方からあまりに大きな重みをかけると、友情は破壊される。
by クニッゲ男爵
【空的解釈】人間、やっぱりほどほどが大事ということなのでしょうか?「友情を長続きさせるポイント=べたべたしすぎないこと」みたいなかんじですかね?(←これは男女の関係にもいえること。過去に大失敗した経験があります)持ちつ持たれつ持たせず持たず、が理想。それでも「寂しい」とかんじるなら、御互いがほんの少しその重みを「持つ」ようにしてあげる。それが優しさや思いやりというもので、いい関係を築くためのちょっとした隠し味なのだろうぁと思います。(理想を語るのは簡単ですが、なかなか難しいですね。この微妙なさじかげん)
【空的解釈】これはあくまで空の考えですが、この格言は友情を否定するものではないって思います。
「どんな妨害にあって壊れかけた友情でも、復活する可能性を秘めている。それが友情。だけど同時に、かたい絆で結ばれている関係でも、ほんのちょっとした誤解、食い違いで壊れてしまうこともある。そんな強くて儚いものだから・・・人は、惰性に流れて自分の都合ばかりを相手に押し付けてはいけないのだ。その人を大事な友人と思うなら、相手を思いやる心を常に忘れてはいけない。」っていう教訓なんじゃないかと考えております。
・ある事を真剣に3時間考えて、
自分の結論が正しいと思ったら、
3年かかって考えてみたところでその結論は変わらないだろう。
by F.ローズヴェルト
【空的解釈】読んで字のごとく。
周囲の意見を聞くことも大事。だけど最後に責任をもって決断するのは自分でなければならない。
「あの人がこういったから●●した」「この人が言ったから、こう決めた」っていうのは、単なる逃げ口上。
確かにその台詞はあなたをその場で救うかもしれない。だけど問題はそのあと。
それだけは忘れないで。
その台詞は、便利だけど周囲の人のあなたに対する信頼・評価を一気に下げる危険性も秘めている「もろ刃の剣」だということを。
以上、空が日ごろ、いろいろ悩んだりつまづいたりしているときに声に出して読み返す格言でございました。
【空的解釈】はあくまで、空の考えです。
この格言の本質とは程遠いとおもいます。
でも、これだけいまだに多くの人に語られ、「本」にまでなっている格言、名言を最初に口にした方々って本当にすごいなぁと素直に思います。(もっと凄いのは、それを「メモ」していた人々(?)「くーええ言葉聞いたっ。絶対、この言葉将来ウケるで!!忘れる前にメモ忘れたらあかんっ(なぜエセ関西弁)」とか思いながら、メモして今の時代に引き継いできたのかと思うと・・・涙が(あくまで空の妄想です))
ただ忘れてならないことが1つ。
言葉は、人を救いもしますが、簡単に人を殺しもします。
心無い言葉は、時に人の心に何十年も癒えることのない傷を残したり、他者を自殺においやったりする「陰」の力も持っています。
まぁようは、使う人間の心がけ1つで毒にも薬にもなるってことで。
いまさら「聖人君子」面する気はさらさらございませんし、そんな高尚な存在にはなれないと理解しておりますので100パーセント「薬」な言葉ばかり話すことは無理ですが・・・なるべくなら「毒」にしかならない言葉の使い方ばかりする人間にならないように心掛けていきたいと思っている今日この頃な空でした。
【ご注意:これは10月16日あたりに書いた記事です】
特別な「ボクシング」ファンではないけれど、先日の例の試合をみた会社の上司が「つまんねぇええ!!」と絶叫していたのが気になって、試合を録画していた稀有な先輩に頼み込んで借りたDVD(←あやうくデータ消されるとこだった)を見直してみた、空です。
うん・・・。試合だけを観たらたしかに「つまんない」。(←この言い方は否。真面目に闘った内藤選手に失礼だね・・・。試合自体は散々だったけど、少なくとも内藤選手は頑張ってた)ボクシングのルールを知らない空でもこう思ったのだから・・・本当に全国のファンの人は・・・どう思ってたんだろう?
世の中いろんな考えの人がいる。
その考えを力づくでどうこうしようなんてことはできないと思う。だって、そういうふうに育っちゃったんだし、周りもそれを許してしまったんだろうし。
髪の毛を金髪に染めて試合に臨もうが、言葉使いが多少わかんなかろうが、それは大した問題じゃない。(良い意味で個性的ともいえるから)
問題はもっと根本的なところ。
「ボクシング・・・愛してくれてますか?」
試合前に自分よりも1回り年上の対戦者に対しての域を超えた暴言、挑発。
それから、最終ラウンドでの「レスリングと・・・間違ってる?」と思わせる戦闘スタイルは・・・プロのボクサーとしてやっていいことだったのかな?(その人の気持ちのほんとのところなんて・・・本人しかわからないのだけど)闘ってる本人が一番辛かったんじゃなかな・・・?</
このボクシング試合を見て空は、ある1人の偉大な人間を思い出しました。去年「その時歴史は動いた」っていう番組で紹介されていた元ボクサーで元世界フライ級王者【白井義男さん】。
才能はあったけど、徴兵されたり腰痛に悩まされたりして挫折が多かった彼。1人のユダヤ人アルビン・R・カーンに才能を見出されてからは、彼と2人三脚で努力して努力して・・・日本初の世界王者になって敗戦で打ちひしがれていた日本人に希望をくれた人です。(きっと、ボクシングファンで彼を知らないひとはいないでしょう)TV【その時~】で彼の闘い方を拝んだのですが、ボクシングしらなくてもすごく感動した。
相手をむやみやたらに傷つけないんですよ。【タコなぐり】なんて言葉、スタイルを会得した彼の辞書にはなかったんだろうなぁ。軽やかな足運びで相手の攻撃をかわしまくって疲れきった対戦者を一撃でKO。(とても合理的・・・それを教えたのはカーン氏だったらしいけど)彼の試合を見たのはそれが最初で最後だけど・・・今でもこの眼に焼き付いてる。そんな闘い方だった。
彼の語録がまた・・・こう、胸を打つんです。
「(指導者として)根本はいい選手をつくることが使命なんでしょうね。でも、それ以上に、教え子たちに"ボクシングをやってよかった"って思ってもらいたい。だから、繰り返し言うのは、打たれちゃいけないってこと。避けて打つ、打って避ける。こういうボクシングをしなきゃ、将来、後悔することにもなりかねない。顔の形もくずれるし、網膜剥離になってしまうこともある」
「やっぱり『健全なるスポーツ』であるボクシングをしなきゃいかんと、これはみんなに言い聞かせてるんです。殴られて殴るのは子どもでもできる。打たせないで打つところに、やっぱり妙技があるんでね」
・・・かっこいいセリフじゃないですか。
何よりしびれるのは、この言葉に忠実な闘い方をし続けたってことです。
恩師カーン氏の言葉「ボクシングビジネスに手を出してはいけない」という忠告を護っていたその気持ちが男らしいですよ。本気で。
「今は今。昔は昔。」といえばそれまでですが・・・いくら目に見える形がかわっても、「何かを心から愛そうとする姿勢を持つ人の姿」はどんなにかっこ悪く見えても尊いものだっていう気持ちは、無くしたくありません、空は。