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以下はただのたとえ話です。
唐突ですが、「黒闇天と吉祥天」のお話を知っていらっしゃいますか?
どちらも、女性で姉妹な関係にある神様のことです。
姉の吉祥天は、「吉祥天女」の名で親しまれている美しい女性の姿をした神様。
対する妹の黒闇天は醜悪な姿をした女性の神様。
この2人の神様を説明するのに、わかりやすい逸話が1つあります。
それが、「福の神と貧乏神」というお話です。
福の神さまと貧乏神さまのお話
ある家に、とても美しい女の人が訪ねてきました。
豪華な服を着て、見るからに気品のある女性でした。
その美女は、「私は吉祥天です。福徳を授けに来ました。」といいます。
幸福の女神の到来ですから、家の主人は大変に喜んで、家の中に招き入れました。
ところが、そのあとから、もう一人の女性が入ってこようとしています。
こちらのほうは、見るからにみすぼらしい、醜い女性でした。
「おまえは誰だ。」と主人が問うと、「私は黒闇天(こくあんてん)。
私の行くところ、必ず災厄がおきる貧乏神です。」と後からきた女性が言いました。
家の主人は、貧乏神に家の中に入ってこられてはたまりませんから、「おまえなんか、とっとと消え失せろ。」とどなりました。
すると、その黒闇天は大声をあげて笑いました。
「あなたは馬鹿です。さっき入って行った吉祥天は、わたしの姉です。わたしたち姉妹はいつも一緒に行動しています。わたしを追い出せば、姉の吉祥天だってこの家から出て行きます。」
そして、そのとおり、吉祥天と黒闇天は肩を並べて、その家を去って行きました。
以上が「福の神様と貧乏神様」のお話となります。
ようは、「幸せと不幸」「正義と悪」「富と貧困」「強さと弱さ」等世の中すべての相反する存在の象徴である黒闇天と吉祥天というのは、常にともにあるということらしいです。
もちろん、人の心のなかにも彼女たちは仲良く存在してくれているそうです。
根っからの善人がいないように・・・根っからの悪人もいないってことでしょうか(多分)
もちろん人の心も然り。
「大好き」と「大嫌い」にも境目はないんです。
あっという間に、大好きが大嫌いに変わることもある。
反対に、心から憎しみあっていた相手でさえ、いつかは笑って赦しあえることもある。
それは別段不思議なことじゃない。
だって、もともとおんなじもので出来ているのだもの。
大好きだから時折襲ってくる不安や嫉妬に苦しくもなるんだと思います。
(一番わかりやすいのが男女の仲)
大事な人を逆転した立場(大好き→大嫌い)に陥れないようにするには・・・やっぱり、「自分と他人様はあくまで別個の存在。別個の人格を持っている」って自覚することが始まりで・・・御互いに言いたいこと言い合って(腹の中の本音をぶちまけて)から・・・ちょっとずつ妥協しあっていくことが大事なんでしょうね。やはり。(わかっていても、一番難しいことです、はい)
受け止めてもらえるかどうかは別としても、本気で自分のことを理解してほしい(友達でありたい)と願うならば、御相手に何を求めているのか、どうしてほしいのか、何がムカついたのか・・・そういうことをきっちり言葉に出して伝えていくことにしています。
それが、「誠意」だと思うから。
無駄に年食ってる分、今の今まで(これからもですけど)好き勝手やってきて、たくさん大事な人たちを傷つけてしまい、自分さえも痛い目見てきたから・・・その辺は少し学習しました。(日々勉強勉強と・・・)
人は「神様」のように非の打ちどころがない完璧な存在じゃありません。
どこか悪いところがあって、逆にいいところも多々あります。
「自分が相手にあわせている=疲れている」っていうのは、もしかしたら思い違いでその逆かもしれません。
自分の思い込みでせっかくの大事な絆を壊してしまうのは、とても勿体ないとは思われませぬか?
こんなどうしようもないヘタレ管理人空も、オンオフ問わず様々な人に赦されて今もなんとかやっていられます。(ありがたいことです)
数多の人が存在するこの世の中で、たまたま出逢い、知り合ってくれた方々とこれからも関係を大事にしていきたいから・・・空は、己の心の中にある「吉祥天と黒闇天」にうまく向き合いつきあっていきたいと思います。
以上、流行り神2第零話をプレイし、タイトルにもなっていた「黒闇天」について、自分なりに解釈した空の、面白くもなんともない独り語りでした。
あくまで、空の個人的考えですーので、あしからず。
「絶対違うから!!」って否定される御方がいても、それは自然なお話です。
ある家に、とても美しい女の人が訪ねてきました。
豪華な服を着て、見るからに気品のある女性でした。
その美女は、「私は吉祥天です。福徳を授けに来ました。」といいます。
幸福の女神の到来ですから、家の主人は大変に喜んで、家の中に招き入れました。
ところが、そのあとから、もう一人の女性が入ってこようとしています。
こちらのほうは、見るからにみすぼらしい、醜い女性でした。
「おまえは誰だ。」と主人が問うと、「私は黒闇天(こくあんてん)。
私の行くところ、必ず災厄がおきる貧乏神です。」と後からきた女性が言いました。
家の主人は、貧乏神に家の中に入ってこられてはたまりませんから、「おまえなんか、とっとと消え失せろ。」とどなりました。
すると、その黒闇天は大声をあげて笑いました。
「あなたは馬鹿です。さっき入って行った吉祥天は、わたしの姉です。わたしたち姉妹はいつも一緒に行動しています。わたしを追い出せば、姉の吉祥天だってこの家から出て行きます。」
そして、そのとおり、吉祥天と黒闇天は肩を並べて、その家を去って行きました。
以上が「福の神様と貧乏神様」のお話となります。
ようは、「幸せと不幸」「正義と悪」「富と貧困」「強さと弱さ」等世の中すべての相反する存在の象徴である黒闇天と吉祥天というのは、常にともにあるということらしいです。
もちろん、人の心のなかにも彼女たちは仲良く存在してくれているそうです。
根っからの善人がいないように・・・根っからの悪人もいないってことでしょうか(多分)
もちろん人の心も然り。
「大好き」と「大嫌い」にも境目はないんです。
あっという間に、大好きが大嫌いに変わることもある。
反対に、心から憎しみあっていた相手でさえ、いつかは笑って赦しあえることもある。
それは別段不思議なことじゃない。
だって、もともとおんなじもので出来ているのだもの。
大好きだから時折襲ってくる不安や嫉妬に苦しくもなるんだと思います。
(一番わかりやすいのが男女の仲)
大事な人を逆転した立場(大好き→大嫌い)に陥れないようにするには・・・やっぱり、「自分と他人様はあくまで別個の存在。別個の人格を持っている」って自覚することが始まりで・・・御互いに言いたいこと言い合って(腹の中の本音をぶちまけて)から・・・ちょっとずつ妥協しあっていくことが大事なんでしょうね。やはり。(わかっていても、一番難しいことです、はい)
受け止めてもらえるかどうかは別としても、本気で自分のことを理解してほしい(友達でありたい)と願うならば、御相手に何を求めているのか、どうしてほしいのか、何がムカついたのか・・・そういうことをきっちり言葉に出して伝えていくことにしています。
それが、「誠意」だと思うから。
無駄に年食ってる分、今の今まで(これからもですけど)好き勝手やってきて、たくさん大事な人たちを傷つけてしまい、自分さえも痛い目見てきたから・・・その辺は少し学習しました。(日々勉強勉強と・・・)
人は「神様」のように非の打ちどころがない完璧な存在じゃありません。
どこか悪いところがあって、逆にいいところも多々あります。
「自分が相手にあわせている=疲れている」っていうのは、もしかしたら思い違いでその逆かもしれません。
自分の思い込みでせっかくの大事な絆を壊してしまうのは、とても勿体ないとは思われませぬか?
こんなどうしようもないヘタレ管理人空も、オンオフ問わず様々な人に赦されて今もなんとかやっていられます。(ありがたいことです)
数多の人が存在するこの世の中で、たまたま出逢い、知り合ってくれた方々とこれからも関係を大事にしていきたいから・・・空は、己の心の中にある「吉祥天と黒闇天」にうまく向き合いつきあっていきたいと思います。
以上、流行り神2第零話をプレイし、タイトルにもなっていた「黒闇天」について、自分なりに解釈した空の、面白くもなんともない独り語りでした。
あくまで、空の個人的考えですーので、あしからず。
「絶対違うから!!」って否定される御方がいても、それは自然なお話です。
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